2021年度 活動記録 ー 第3回研究会

2021年6月25日(金)16:30-18:30開催(Zoomによる遠隔会議方式)

<参加者(敬称略)>
石田勝彦(東京化学同人、科学系出版)
縣由衣子(外国語教育研究センター、フランス現代思想)
荒金直人(教養研究センター副所長、「文理連接」担当、理工学部、哲学・科学論)
井奥洪二(自然科学研究教育センター所長、経済学部、環境科学・医工学)
小菅隼人(教養研究センター所長、理工学部、英文学・演劇学)
佐々木玲子(体育研究所、発達動作学・身体教育学)
寺沢和洋(教養研究センター副所長、医学部、放射線研究)
松原輝彦(理工学部生命情報学科、生体高分子設計)
見上公一(「文理連接」企画、理工学部、科学技術社会論)
宮本万里(商学部、政治人類学・南アジア地域研究)
村山光義(体育研究所、運動生理学)

16:30〜16:35 参加者による簡単な自己紹介
16:35〜17:30 「科学系出版における文理連接」(石田勝彦氏)
17:30~18:30 石田氏への質問と自由な議論

2021年度 第3回文理連接研究会 スライド資料発表資料

ゲスト講師として、出版社「東京化学同人」副社長の石田勝彦氏をお迎えし、「科学系出版における文理連接」をテーマに、企業人としての実践知の観点から文理連接について話題提供をいただいた。事例として取り上げられたのは、オウム真理教の起こした一連の毒ガスによるテロ、いわゆる「サリン事件」である。話題提供は、この事件をめぐる科学ジャーナリズムの観点からの文理連接についての問題提起という形でなされ、これを受けて後半のディスカッションにおいては、主に日本における科学についてのリテラシーをめぐる問題、また科学的知識の教育、普及に伴う問題などについて議論が展開された。

1994年の一つ目のオウム真理教によるサリン事件、いわゆる松本サリン事件発生直後に「現代化学」では、いち早くサリンなどの神経毒についての特集を組んだ。このことを皮切りに、20年以上にわたり、石田氏は科学ジャーナリズムの立場から一連のサリン事件との関わりを持つこととなった。そこで指摘されたのは、「現代化学」での科学的見地からの報道が、一方ではサリン事件とオウム真理教の関連性を裏付ける警察の捜査上の重要な情報提供源となったのと同時に、事件の実行犯であるオウム真理教の信者に新たなる毒物への知識を提供してしまったという二つの側面である。そこには、科学的知見を社会へ伝えることへの功罪がある。科学的知見をめぐる報道が、捜査の進展に寄与する重要な情報となる一方で、犯罪者に悪用もされうるという科学的報道の難しさが問題として提起された。

また、その後「現代化学」では、毒物の専門家であるAnthony Tu博士とともに、事件収束後も事件の化学的実態の解明を目指し、事件関係者への取材を継続したのであるが、その際、石田氏は、事件に関わる人物の人格や動機、心情などを明らかにしようとするマスメディアによるいわゆる文系的報道との問題意識のギャップを実感したことが言及された。さらに言えば、石田氏をはじめとする理系の報道は、マスメディアによる文系的報道の意義を理解していたにもかかわらず、文系の報道には、理系の報道の意義や重要性に対する理解が欠如しており、そこには文理の相互理解の不均衡があったと言える。

さらに、司法的手続きとしては、裁判が終了し、刑が執行され、事件は収束したと言えるが、科学的な観点からは、不鮮明かつ辻褄の合わない部分が多く残されており、そのような科学的真理追求が事件解決においておざなりにされているのではないかとの指摘もなされた。最後に、事件の実行犯には多く高度な理系の知識を持った者がおり、高学歴で理性ある理系人がなぜ宗教テロに走るのか、との問題提起がなされた。

これらの話題提供を受け、講演者、参加者の間では、日本における科学についてのリテラシー、そして科学的知識の教育と普及という大きく二つの論題をめぐり議論が交わされた。欧米に比して、一般的に日本の科学的なリテラシーは高いとは言えず、それは例えば科学雑誌の普及度、新聞における科学報道の有無などから見てとることができる。その原因としては、欧米におけるリベアル・アーツとサイエンスの関係および、体系への意識を日本人が共有していないことがあるのではないかとの指摘がなされた。一方で、このような体系への意識の欠如が日本における欧米とは別角度からの科学的発展と開発を可能にしているのではないかとの意見もあった。とはいえ、日本での科学に対する姿勢は実用性を旨としており、基礎教養を備えておくべきといった意識が低いとの意見も出た。話題提供で言及された、科学的知見を一般共有することの功罪はまた科学教育についても言うことができ、科学的な知識は悪用される危険性を常に孕んでいる。そのような前提を踏まえた上で、実用性の側面のみではなく、生きていく上で備えておくべき知識としての科学という観点から、科学に対する教育や報道を考えていくべきではないか、との指摘もなされた。出版に携わる実践的な知の現場の視点からの問題提起がなされたことによって、新たな文理連接の切り口が提示された会合となった。

(以上、文責は縣)