2021年5月21日(金)16:30-18:30開催(Zoomによる遠隔会議方式)
<参加者(敬称略)>
宮本万里(商学部、政治人類学・南アジア地域研究)
縣由衣子(外国語教育研究センター、フランス現代思想)
荒金直人(教養研究センター副所長、「文理連接」担当、理工学部、哲学・科学論)
石川学(商学部、フランス文学・フランス思想)
井本由紀(理工学部、教育人類学)
川添美央子(商学部、西洋政治思想史)
工藤多香子(経済学部、文化人類学)
越野剛(文学部、ロシア文学)
小菅隼人(教養研究センター所長、理工学部、英文学・演劇学)
小林徹(龍谷大学文学部、フランス現代思想)
髙山緑(理工学部、心理学・老年学)
寺沢和洋(教養研究センター副所長、医学部、放射線研究)
藤田護(環境情報学部、文化人類学)
見上公一(「文理連接」企画、理工学部、科学技術社会論)
光田達矢(経済学部、ドイツにおける肉食の社会文化史・動物感染症の歴史)
村山光義(体育研究所、運動生理学)
山本洋平(明治大学理工学部、英語圏文学)
16:30〜16:40 参加者による簡単な自己紹介
16:40〜17:40 「マルチスピーシーズ人類学からみた動物と人間の境界、そのゆらぎについて」(宮本万里先生)
17:40~18:30 宮本先生への質問と自由な議論
今回は、宮本万里先生(商学部・文化人類学)から、「マルチスピーシーズ人類学からみた動物と人間の境界、そのゆらぎについて」というタイトルで話題提供していただいた。現代人類学における「マルチスピーシーズ人類学」の位置づけやその射程に関してご紹介いただいた後、発表内容に対して、科学や哲学、あるいは演劇論や文学論にいたるまで、さまざまな分野から質問やコメントが寄せられ、文理連接プロジェクト自体の在り方を探るうえでも有益な議論が交わされた。
マルチスピーシーズ人類学は、新しい地質年代である「人新世」を考える糸口になりうる。この概念は、突き詰めれば、文化の外部としての自然という二分法を乗り越える可能性を示唆している。人間の自然化/自然の人間化が極端に進行すれば、もはや人間の特権性さえも消え去り、西洋的思考に潜在する人間中心主義も脱中心化され、「人間と非人間の両方の活動を認める」新しい視野が開かれることになるだろう。そうなれば、自然科学と人間科学という学問上の二分法も意味をなさなくなるだろう。人間以外の種を、人間的経験の背景としてではなく、固有の経験を持った存在と捉え、それら複数種間に構成される経験世界を記述することを目指すマルチスピーシーズ人類学は、このような現代的動向の中心に位置していると言えるだろう。この人類学を展開する上で、人類学の伝統的概念の一つであるアニミズムを「真剣に受け取る」必要がある。まず、ブリュノ・ラトゥールは、多様なエージェンシーが増殖する世界観をアニミズムという形で表現している。これは、近代の「科学的世界観」が排除してきた「内在的な物語性」を再活性化させる試みである。次に、フィリップ・デスコラは、近代西洋的な自然と文化の二元論が「土着の分類基準」を等閑視してきたことを批判し、独自の象徴生態学の立場から、「トーテミズム」「アニミズム」「ナチュラリズム」を分類した。最後に、レーン・ウィラースレフは、シベリアのユカギールの人々に関する民族誌的調査を行い、「土着の理解に対する西洋の形而上学の優位性」に縛られることのないアニミズム的世界観を描き出した。これらを受けて、ラディカ・ゴビンドラジャンが行っているように、人間と非人間の関係を再考せねばならない。また、アニミズム的な語りの可能性についても吟味せねばならない。以上が、発表の内容である。詳細については、本サイト掲載の配布資料をご一読願いたい。
参加者からは、まずウィラースレフが挙げている、エルクの模倣を行う「スピリンドン爺さん」の例に関して、人間による非人間の模倣を考えることはできても、非人間による人間の模倣を考えることは難しいのではないか、また二つのアイデンティティの「間」とは何か、との質問があった。この点に関連して、ユカギールの人々の言葉を「真剣に受け取る」人類学者は自らをどの立場に位置付けているのか、との指摘もなされた。次に、マルチスピーシーズ人類学の可能性について、これをアニミズムという形で限定してしまってよいのか、アニミズムさえも解体する方向性を模索するべきなのではないか、とのコメントがなされた。また、マルチスピーシーズといっても人類学である以上は人間に関する学問になってしまうのではないか、むしろ物質と人間を区別せず、すべてを物質循環と見なすことができるのではないか、この点から文理連接の問題を考えることができるのではないか、といった指摘がなされた。この点に関連して、文学者の観点からも、マルチスピーシーズという問題設定を、人間と非人間の関係から、非人間同士の関係へと展開していく可能性があるのではないか(ユクスキュルの環世界論など)、といった問いかけがなされた。マルチスピーシーズ人類学をアニミズム論によって展開する試みに関しては、肯定的な意見も聞かれた。動物だけでなく、石などの無機物にも生命を見出すことができる、との指摘もあった。また、西洋近代哲学の流れの中で、動物がどのように扱われてきたのかを再検討する必要がある、との意見もあった。スポーツ医療の観点からは、「怪我をする人間」に対する「怪我をしない動物」の優位性を語ることもできる、とのコメントもなされた。多方面から数多くの質問・コメントが寄せられ、宮本先生からの真摯な回答が行われる中で、マルチスピーシーズ人類学に対する理解が深められると同時に、現代人類学が孕んでいる文理連接の可能性について少なからぬ示唆が得られ、大変有意義な会となった。
(以上、文責は小林)