2021年度 活動記録 ー 第9回研究会

2022年1月28日(金)16:30-18:45開催(Zoomによる遠隔会議方式)

<参加者(敬称略)>
見上公一(「文理連接」企画、理工学部、科学技術社会論)
荒金直人(教養研究センター副所長、「文理連接」担当、理工学部、哲学・科学論)
縣由衣子(外国語教育研究センター、フランス現代思想)
井奥洪二(自然科学研究教育センター所長、経済学部、環境科学・医工学)
石田勝彦(東京化学同人、科学系出版)
小原京子(理工学部、認知言語学)
川添美央子(商学部、西洋政治思想史)
小菅隼人(教養研究センター所長、理工学部、英文学・演劇学)
寺沢和洋(教養研究センター副所長、医学部、放射線研究)
藤田護(環境情報学部、文化人類学)
宮本万里(商学部、政治人類学・南アジア地域研究)

16:30〜17:30 「ウィズコロナの『モラル』と科学者の役割」(見上公一先生)
17:30〜18:45 自由な議論

2021年度 第9回文理連接研究会 発表資料

2022年初より,コロナウイルス感染症流行第6波が大流行を見せ,研究会が行われた1月28日(金)には,東京は1万7631人の過去最多を記録した.慶應義塾でも,体育会,一貫教育校卒業生の中でのクラスター発生が相次ぎ,もはやコロナウイルス感染症に罹患すること,その濃厚接触者になることが特別なこととは受け取られない状況となっている.そのような環境の中で,見上公一君(理工学部外国語総合教育教室所属,「科学社会論」担当)によって「ウィズコロナの『モラル』と科学者の役割」と題された話題が提供され,参加者によって活発な議論が行われた.

このプレゼンテーションの最終的な目的は,「コロナワクチン対策を講ずる上での科学者の役割」を考察することである.その前提として,まず①感染者リスクの多様性―自分への感染,他者への感染,感染者への社会の制裁というリスク,感染症流行による経済的リスク―を理解することが必要である.さらに,②ワクチン接種への期待と懸念の重層性―ワクチン効果への期待は流行の収束という「集団」ベースでありつつ,それへの懸念は副反応という「個人」ベースといった重層性―を理解することが必要となる.それらの多様性と重層性に鑑みれば,科学としてのワクチン(開発・接種)だけでは問題は解決できないはずである.

以上の前提を踏まえて,「モラル」という言葉を明確化するところから見上君は議論を起こした.「モラル」は,通常「他者,あるいは,モノとの関係においてそのようにすることが期待される行動や意見の決定」を言う.但し,例えば,“机に座らない”,“赤信号で止まる”,といった様々なルールが考えられるが,それが,法律,慣習,言い伝えなどのグラデーションの間で,どの程度まで言語化されているか,それがモノに込められているのかそれとも人を想定しているか,あるいは,アメリカ,アジア,ヨーロッパ,アフリカなどどのようなコンテクストにあるか,などによってモラルのあり方は変化する.

それと同時に,そのモラルを守らせるための手段は,①個人の判断に委ねる,②言語を通じて訴える,③ヒトやモノを通じて必然化させる,④期待される行動や意思決定の「翻訳」(Cf. ラトゥール)を行うことといった多様な方法が考えられるし,コロナウイルス感染症対策においてもそのような視点から考えられなければならない.例えば,手洗い,繰り返しのお願い,「マスク警察」や入場制限,「ワクチンパスポート」や不織布マスクが大学へ入るための「チケット」に「翻訳」されていることがあげられる.

その時,科学者は「モラル」へどの程度,どのように介入できるのか,またするべきなのか? 言い換えれば,モラルの変化がヒトやモノの関係を変化させるとすれば,それは高度な政治的・倫理的問題であり,科学者が市民の行動にまで介入するのが妥当なのか? あるいは,個人の意思決定に関わる情報を提供することがあってもモラルの形成には加担するべきではないのではないか? 見上君は,アルヴィン・ワインバーグの「トランス・サイエンス」という概念に言及し,“科学に問うことができるが,科学だけでは答えることができない問題”があることを指摘する.科学自体は,実験科学にしろ,フィールド科学にしろ,科学のコミュニティの中での妥当性に基づいて評価されるものであって,科学を根拠としてモラルを判断するのは政治の役割であるはずである.そうだとすれば,本来,科学が担うべき役割とは何だろうか?

見上君は,東日本大震災において科学の基盤が揺らいだと指摘する.その原因は,科学の信頼できるレベルと見せかけのレベルの差の乖離,そして,政治家による科学の「つまみぐい」によって,科学が「利用された」ことにあった.科学の理想は,その限界をしっかりと意識して,その実態をありのままに見せることにある.コロナウイルス感染症が多様な当事者(感染者,医療従事者,我々感染リスクに晒されている社会)によって構成されているとすれば,それぞれのレベルによって,科学的事実に基づいた政治的決定が必要であり,それが政治の責任であることが明確にされなければならないであろう.

【質疑応答から】様々の質問やコメントがなされたが,特に印象に残った点を取り上げる.①「モラル」は歴史的に積み上げられた現実世界の道徳であり,見上君が取り上げた「モラル」はむしろ,短期的に作られた「マナー」とか「ルール」とされるべきではないか.それがモラルにまで醸成されるかどうかは今後の問題かもしれない.②科学を政策に反映するシステムが日本では未熟である.科学が政策に転換されるためには,ドラスティックな「翻訳」が行われなければならないだろうが,アメリカは科学を政策として扱うためのバッファをいれており,その仕組みがある程度確立している.日本では平時のコミュニケーションの中で科学の役割を構築していくことが必要だろう.③「科学者」のイメージに文理連接プロジェクトメンバーの中でもずれがあり,一般市民の間ではもっと乖離がある.例えば,医師は患者を救うことを第一に考えて科学的事実を曲げることもあり,その意味では科学者ではなく,あくまで医者なのである.科学の評価基準において,例えば,人間の役にたつかどうかという科学者もいれば,最も重要なのは「オリジナリティ」であると考える科学者もいるように,「科学」や「科学者」とは何かということをすり合わせてから話すことが必要である.さらに,日本の政治家の科学リテラシーが低すぎることが問題である.但し,「科学」や「科学者」の線引きは常に動いているのであり,そうであるからこそ,説明し続けることが重要であり,(コロナ対策に関わる医学者のように)科学者として見られ得る立場の人が,そのことに無頓着で,あるいは曖昧にしたまま発言し続けることはマイナスになると考えられる.

(以上、文責は小菅)