2021年12月24日(金)16:30-18:40開催(Zoomによる遠隔会議方式)
<参加者(敬称略)>
宮本万里(商学部、政治人類学・南アジア地域研究)
小菅隼人(教養研究センター所長、理工学部、英文学・演劇学)
荒金直人(教養研究センター副所長、「文理連接」担当、理工学部、哲学・科学論)
縣由衣子(外国語教育研究センター、フランス現代思想)
見上公一(「文理連接」企画、理工学部、科学技術社会論)
16:30~17:20 『いま言葉で息をするために』を読む(3)歴史・宗教・人類学(宮本万里先生)
17:20~18:10 「宗教」論考をめぐる様々な議論
18:10~18:40 「歴史」論考と「人類学」論考をめぐる議論
2021年度 第8回文理連接研究会 発表資料
冒頭、『いま言葉で息をするために』の最後の部分(pp. 221-306)に収録されている三点の論文(「歴史」「宗教」「人類学」)について、宮本先生が内容をまとめて下さった。〔上記「発表資料」をクリックするとレジュメが閲覧できます。〕それに続いて、主に以下の点に関する議論が為された。
シュレゲルの論考(「歴史」)との関連で、コロナ禍における感染防止対策の一環としてキリスト教の礼拝が行われなくなったということを出発点に、多くの考察が為された。キリスト教(その中でも特に聖体拝領というヴァーチャル化し難い実践を軸とするカトリック)が、パンデミックを神罰やサタンの業という宗教的解釈に結び付けずに、生命の保全を最優先にする社会的要請に従ったことは、「この世」へのアンチテーゼであるはずの宗教の弱体化を露わにすると同時に、ある種の新自由主義的で個人優先の価値観の台頭を示しているようにも思われる。ミサの動画配信のような宗教共同体のヴァーチャル化に関しては、教会を機軸とするキリスト教に対してコロナ禍が決定的なダメージを与えた事態と理解することができると同時に、そもそも宗教が有している現前と不在の往復運動はヴァーチャル的なものに親和的なのかもしれないという意見もあった。コロナ禍においては、キリスト教に限らず多くの宗教にとって最重要の儀礼である埋葬が本来の形で行われなくなり、国家の理論・生命の理論が優先されることがしばしばあったが、これは、儀礼の社会的側面と宗教的側面(聖性との関係)の分離を表しているとも考えられる。宗教と科学の関係、宗教とその他の共同体、例えば家族との関係、等についても考察と意見交換が為された。
次に、キャンベルの論考(「歴史」)との関連で、本書p. 243「図2」に示されたような〈気候・社会・生態系・生物・病原菌・人間〉の複雑な影響関係を念頭に置きつつ、感染と環境の関係を考えることが、文理連接研究会の今後の方向性を定める上で参考になるのではないかとの指摘が為された。キャンベルの論考における「気候」ないし「自然」の位置付け(人間に対して一方的に影響を与えるものとして前提されているように見える)に関しては、再考の必要があるとの指摘も為された。
最後に、ケックの論考(「人類学」)との関連で、コロナ禍において国家の役割や位置付けが変化し、国家ごとの対応の違いが際立つことで、単純に科学的とは言えない観点から感染について考えることの必要性が指摘された。また、ケックの論考においてアジア諸国を表す「前哨」や「美的」という言葉には、ある種のコロニアリズム的、ヨーロッパ中心主義的な臭いが感じられる点が懸念されるという意見もあった。
加えて、来年度の計画として、年度末に論文集を作成することを予定し、それに向けて統一テーマを定めた上で参加者が短い論文を準備し、研究会での発表を通じて練り上げて行くという提案が為された。一つの案として「感染と環境」というテーマが挙げられ、次回の研究会で改めて議論することになった。
(以上、文責は荒金)