2021年1月8日(金)16:45-18:45開催(Zoomによる遠隔会議方式)
<参加者(敬称略)>
小林徹先生(ゲスト講師、龍谷大学文学部、フランス現代思想)
小菅隼人(センター所長、理工学部、英文学・演劇学)
荒金直人(センター副所長、「文理連接」担当、理工学部、哲学・科学論)
鈴木晃仁(「文理連接」企画、経済学部、医学史)
見上公一(「文理連接」企画、理工学部、科学技術社会論)
井奥洪二(自然科学研究教育センター所長、経済学部、環境科学・医工学)
縣由衣子(外国語教育研究センター、フランス現代思想)
16:45〜17:30 「危機への備え:現代人類学と感染症」(小林先生)
17:50〜18:45 小林先生への質問および参加者全員での自由な議論
第4回目の研究会では、龍谷大学の小林徹先生にご発表を頂き、参加者で議論を行なった。ご発表の主題は、現在私たちが直面している課題でもある「危機に対して備えなくてはいけない」とはどういうことなのかを哲学的に考えるというもので、翻訳をされたフランスの人類学者フレデリック・ケックの「流感世界」(2010)を紹介してくださった。
ケックの「流感世界」は鳥インフルエンザに直面したアジア社会でフィールドワークを行ない、動物(自然界)から持ち込まれる動物疾病の政治的な意味合い(人間界)を人類学の視点から考察を行った作品で、多様な当事者が生物としての動物と商品としての動物という生産と消費に関わる二つの対立的な視点のどちらを持つのかをマッピングしているという。ケックの問題意識は、フーコーの監視の議論とレヴィ=ブリュールの融即の議論をもとにした「文化と主体性の関係」であり、社会の中には潜在的な脅威を認識させる記号が潜んでおり、それに対して人々がどのように対応をするのかを検討したものである。
ケックは防止・予防・備えを区別し、防止と予防が顕在的な脅威への対応であるのに対して、備えを潜在的な脅威に対する措置として位置付けた上で、想像力を駆使してまだ起きていない危機的状況に身を置くことの必要性を説く。そのような共有された世界観をもとに作り上げられた想像をレヴィ=ストロースにならい「神話」と捉えるが、その神話が異なる社会でどのようにずれるのかを考えることで、別の仕方で思考をすることが可能になると理解できる。自然と文化を対極に置く西洋二元論への批判として、あるいはそのような「神話」の感染症への対策の限界を意味するものとしても捉えられるが、ケックの意図は必ずしも明確ではない。
社会が危機をどのように捉え、それに対してどのような対策が妥当なものとして語られるのかについては、異なる社会に違いが見受けられる。今回の研究会では、そのような言説の違いに目を向けることの重要性を再認識させられた。
(以上、文責は見上)