教養研究センター論文コンテスト  
 
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  2013年度 学生論文コンテストの最終結果を発表するとともに、講評をお伝えします。

  今後の学習の参考にしていただけますと幸いです。

 
         
         
≪最優秀賞・優秀賞 発表≫
         
 

最優秀賞

   
   該当者なし    
  優秀賞    

 

 

 該当者なし

   
≪講評≫
 
 

 今年度で2度目を迎える教養研究センター学生論文コンテストは、残念ながら最優秀賞だけでなく優秀賞に該当する論文も見つからないという結果に終わり、審査委員会一同、少なからず落胆している。知的な好奇心や探究心、考察力を備えた慶應義塾の学生諸君であれば、1、2年生のうちから、荒削りであろうともその片鱗をうかがうことができる論文をぶつけてくる参加者が、ひとりならずいるに違いないというのが、一致した期待であった。

 並外れた巨星の誕生を期待しているのではない。そもそも本コンテストが昨年度センター開所10年を期に企画された際には、論文執筆に挑戦してもらうことで、大学での学びの基本を1、2年生のうちから自発的・経験的に学習してもらおう、という意図があった。すなわち、私たちが応募論文に求めているのは、(1)自分で問いを見つけて絞り込み、(2)先行研究・参考資料を収集・検討して先人の意見に耳を傾けながら、(3)独自の意見を、(4)学問の世界の約束事に従って、(5)明瞭に論ずる、という5点である。そしてこのプロセスこそが、大学での学びに他ならない。もし、そんな能力を今どきの大学生に求めることが非現実的で過大な期待であると感じるならば、危機感を持ってほしい。社会の変動が激しく、10年後も20年後も今と同じ世界が続くとは到底思えない現代であるからこそ、(1)気づく力、(2)情報を収集し分析する力、(3)独創力・考え抜く力、(4)マナーの理解、(5)コミュニケーション力が、若い人々には不可欠なのだ。これらの力を磨くのが大学である。とりわけ今回は、「考え抜く力」が脆弱な応募論文が多かった。

 今回の論文コンテストには14点の応募があった。その内二次審査に残った論文は6点である。一次審査から二次審査への壁は、(1)(4)(5)を満たした論文になっているかである。学術論文は小論文や新聞の社説ではないので、「イメージ先行世代の若者の問題」といったあまりに抽象的で大きなテーマを論ずることはできない。また、このようなテーマ設定をすれば、そこで論じられる筆者の見解は必然どこかで聞いたような話になってしまう。問いの設定の段階で、すでに考え抜く力が求められている。(4)については、形式上はルールに沿ったものがほとんどであった。逆に言えば、(4)を満たさない場合は、話を聞いてももらえない、ということだ。(5)については、締め切り前に一生懸命書いた熱意は伝わってくるものの、少し時間をおいて読み返せばすぐに気がつくような日本語表現上・表記上の問題から、表や図を使えばすっきりわかりやすく説明できることが、持って回った文章になっていて読む者の理解を妨げるケースまであったが、基本的に言えることは、論文執筆作業にかかる時間を読み違えている、時間のマネジメントができていない結果だと言えるだろう。他者に読ませる文章を書くには、読者への心配りが不可欠で、それを実現するにはある程度の時間の余裕がいる。みなさんは今まで知的な瞬発力に重点を置いた学習を重ねてきたと想像するが、大人になってからは、時間ぎりぎりまで書き殴った答案を提出すれば後は野となれ山となれ、という舞台とは世界が変わることを意識してほしい。

 二次審査の段階では、真摯な動機の下に書かれ、論旨に好感のもてる内容の論文が少なからずあったものの、(2)と(3)に問題点のケースが多かった。よく調べているものの、それが自分の意見の根拠となっているわけでなく、結論が唐突な場合、アンケート調査などを自ら実施したことは評価できるが、その説明的分析に終始し、論文としての洞察に欠ける場合など、もっと粘り強く考え抜いてくれれば、と審査員一同残念な思いであった。

 審査では(1)の問題設定と着眼点に優れた論文も数点あり、審査員の注目を集めた。しかしながら、非常に残念なことに、複数のそのような論文が失格となってしまった。着眼そのものが先行研究に負っているにもかかわらず、それを明記しなかったり、先行研究からの引用や要約の範囲と論文独自の主張の範囲とが、(意図的でないと願いたいが、意図的だと疑われても仕方がないやり方で)曖昧にされていたり、参考文献としてあげられていない文献から孫引きを疑われるケースなどがあったためである。これらはいずれも厳格な意味では剽窃にあたる。授業のレポートなどではお咎めなしだからといって、学問の世界ではそれでは逃れられない。悪意がなかったと弁解しても、論文の表題とともに並ぶ筆者の名前は信頼を失ってしまうのだ。剽窃は学問の世界では最も深刻な犯罪である。みなさんも心してほしい。

 以上、かなり厳しい講評になったが、慶應義塾の学生ならば考え抜く地力を発揮できるに違いない、という希望を私たちは失っていないからこそ、批評の手を緩めないのだということを理解していただきたい。考えに、考えて、それでもまだ考える、という作業は、安易にできることではない。手順が比較的明瞭な日頃の学習になれた自分を、もうひと押しふた押しする、そうすることで得られる洞察こそが、大学の真の学びと呼ぶにふさわしい。

   
 
 
 
 
 
             
 
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