教養研究センター論文コンテスト  
 
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  慶應義塾大学 教養研究センター主催 2012年度学生論文コンテスト最終結果  
 
       
 

  当ページでは、2012年度 学生論文コンテストの最終結果を発表するとともに、
  「社会部門」「文化部門」それぞれの総評をお伝えします。

  ぜひ、今後の学習のあるいは、来年度の学生論文コンテストの参考
  にしていただけますと幸いです。

 
         
         
≪社会部門≫
         
 

最優秀賞

   
   該当者なし    
  優秀賞    

 

 

 「聞こえないこととろう文化――ろう者と聴者の共存を探る―」   [論文はこちら]

法学部2年 青木 みな実 君  
≪文化部門≫
         
 

最優秀賞

   
   該当者なし    

 

 

優秀賞

   
 

 「名と文学―言葉を享受するとは―」   [論文はこちら]

文学部1年  安部 農 君  
 

 「三善晃(1933~)の音楽語法―1960年代から1970年代の合唱作品をめぐって」  [論文はこちら]

文学部2年 小川 将也 君  
         
≪総評≫
         
 
 

 教養研究センター設立10年を記念して開催された本学生論文コンテストは、論文執筆を通して、自分の考えを深め、いかにして読み手に伝えることができるのかという学びの基本を体得する機会を提供したいという願いから実施された。 応募対象は 全学部の1,2年生であり、高校を卒業して間もない学生諸君である。レポートや受験対策の小論文ではない「論文」執筆にどのよう取り組んでくれるのか、主催者としては期待と不安があった。実施にあたっては、論文の書き方セミナー、メールマガジン、推薦図書一覧を準備し、日吉図書館内での学習相談アワーを充実させて論文執筆のサポート態勢を整えた。

 今年のテーマは「変/不変」である。絞り込んだ論題ではなく、あえて学生諸君の想像力の飛翔を期待したテーマ設定ではあったが、このテーマをとらえきれた学生はきわめて少なかった。論文のタイトルに「変/不変」の文言を入れる必要はないとの指示をしたものの、投稿された論文にはテーマの解釈を自分の問題意識と照らし合わせ、鮮やかに切り結んで見せるような論文がなかった点が惜しまれる。

 参考文献の扱い方などおおむね論文のルールを理解しており、また、悪質な剽窃もなく、塾生の基礎力をあらためて確認できた。まずは、8000字の論文をまとめあげた学生諸君の努力に敬意を表したい。しかしながら、基本に忠実な論文でも、読む者に新たな洞察、知的な興奮を与える内容でなければ最優秀賞20万円は難しい、というのが審査員の一致した意見であった。そのため、この度は残念ながら該当作なしの結果となった。とはいえ、今後必ずしも賞金に値する論文しか受賞しないというわけでもない。応募資格者はあくまで大学1,2年生。学生の将来性を評価するのがこの論文コンテストの意義でもあるだろう。ひるがえって、今回は大胆かつこれから先が楽しみになる荒削りさも見られなかったということである。
学生諸君は奮起してほしい。

 
     
 
≪社会部門≫
         
 
 

 受賞論文「聞こえないこととろう文化」は、個人の体験がきっかけで、自分のできることを問うている姿勢は外連味がなく好感がもてるという点が評価された。「ろう文化」を異文化として記述するテーマ設定に多くの審査員が興味をそそられ、「笑い」をめぐる「ろう文化」の独自性など、多視点から「ろう」を捉え論じている点と個々の記述について評価が高かった。その一方で、個人の体験からはじまり「ろう文化」へ調査・考察が広がっていくものの、最後は「わたしにできること」に再び収斂してしまう点、個々の記述は面白いが、実は論文最後の主張を支えていない点、テーマの変/不変との関わりが見いだしにくい点が難点だということについても意見の一致を見た。さらに「ろう文化」は異文化であるという本論文の一大前提については、米国由来のDeaf cultureの概念が2000年頃から日本に紹介されたものであるが、この点が本論文では曖昧に記されているため、読み方によってはあたかも論者独自の意見であるかのように見えてしまう。論運びには注意を要する。本論文を出発点としてさらに深めてほしい。

 「母子家庭と子供の貧困」も同様の構成をもった論文である。おそらく筆者は母子家庭児童の学習補助を行っていると思われるが、個人的な体験から社会の仕組み・問題点に考察を広げ、最終的には大学生の自分が果たせる役割を探る。聞き取り調査の成果がうまくいかされた論考といえる。

 「JOCVの活動及び大学運営の諸ボランティア組織からみる、震災復興ボランティアの在り方―大学生が世の中の変化を実感する機会になる「ボランティア活動」の、不変で有効なシステムとは?」は「変/不変」のテーマに正面から取り組む姿勢がみえる点は評価したい。「世の中の変化に応ずることも大切だが、変化の中で不変のものもある」という言葉をひき、震災復興における大学の災害支援活動の有効なシステムを提案する、時宜を得た論考でもある。しかし冒頭で提示された「不変の原理やシステムの再認識」への答えが十分に説得的ではなかった。

 往々にして社会部門では結論部分で、自分ができることという一個人に落とし込む論調が多かった。私という個人的な体験と個人的な決意あるいは感想に終始し、普遍性が認められない結論になる場合が多く残念である。論文は、いわゆる「青年の主張」である必要はないのだ。

 さらに社会部門に顕著だったのだが、自分の立てた問題に対して、様々な資料を用いて、また自身で調査して、問題に関わる事実や、現状をまとめるまではできているのだが、事実の列挙にとどまるきらいがある。それを用いて自分自身で考察する、実効性のある(あるいは実現可能性を感じられるまでに読者にイメージ化して提示する)提言をする段になると、とたんに論が抽象的で曖昧、あるいは新鮮味・個性の感じられないものになってしまったものが少なからずあった。論文は、先行研究や事実のまとめではなくて、自分自身のオリジナリティのある論をどれだけ提示できるか、またそれをどれだけ説得的に論じられるかが命である。その意味で、自分で考え抜く努力がよりいっそう必要である 。

 
     
 
≪文化部門≫
         
 
 

 文化部門の論文の中には、むしろ社会部門に応募すべき論文も散見された。

 「企業メセナ普及率停滞の改善についての考察」はむしろ社会部門へのエントリーのほうがふさわしかったかもしれない。「変/不変」という今回のテーマに最もよく応えた論文のひとつではあった。提言型の論文だが、最終的提言にたどりつくまでに、日本におけるメセナの現状分析、先行研究の検討をおこなったうえで、メセナ担当者数名に有意義なインタヴューをおこなっている等、手堅さが印象として残った。とはいえ、審査員からは、テーマゆえにしかたない部分もあるのだろうが主張を組み立てるにあたって、視点を企業寄りにかぎりすぎているのではないかとする意見も少なからず出された。

 受賞論文「名と文学」はある意味典型的な文学理論系の論文であり、それがゆえに学術論文の規範からは逸脱している印象を与える論文でもある。「文学は圧倒的な苦しみにある他者を救えるか」という巨大で不滅な問いに始まり、批評理論をうまく援用し、具体的文学作品の精読を通じて当初の大きな問いに答える、という構成である。読む側としてはかなりの注意力を強いられ、飛躍が少なくない論理展開ではあるが、無理強いもなく、注意して筆者の声に従っていくことで、具体的な言語芸術の中に普遍的問いへの答えのきっかけが潜んでいることが示される。しかし、批評理論の用い方に物足りなさを感じる審査員がひとりならずおり、また、この手の文芸批評論文を学術論文として評価するべきかという疑問も上がった。論文コンテストである以上、学術論文としてのスタイルを踏襲しているかという点も審査の対象である。どこまで破壊し、自由奔放に書くことができるかを競う場ではないという認識を改めてもっていただきたい。

 それに対して受賞論文「三善晃の音楽語法」は非常に技巧的で緻密な「学術論文」である。音楽分析のテクニカルタームを駆使して三善晃の合唱曲を解析していく過程は、音楽専門の者でなくてもわかるほど明瞭で、記述も正確だ。その記述は執筆者の広範な知識に裏付けられ、三善晃の音楽の特徴をあぶり出す筆力は確かである。しかしながら、読み終わった後で引っかかる点は、このような緻密な分析が分析そのもの以上の洞察を書く者にも読む者にももたらすのか、という疑問である。本論文にはたとえば三善晃の音楽史的再評価、といった主張や、日本語合唱についての筆者独自の考察が見られるわけでもない。人文学の論文においては、単に現象を観察分析し言語化しただけでは不十分で、それが何らかの哲学的論考・洞察へつながることが大切なのではないかと感じた。

 「明治から戦前期における黙祷の特徴とその変容」は「黙祷」の戦前メディア表象に着目するという斬新なテーマを扱い注目を得た。しかし「黙祷」の論考という方向性は斎藤論文を後追いで調査・裏付けしただけ、という印象も否めない。「ヨミダス」を駆使してデータ検索をし、実証しているわけだが、そこからさらに一歩進んだ考察が見られなかったのが残念だった。

 「『蝶々の纏足』『風葬の教室』少女は高校生から小学生になる」は主人公の異なる年齢設定が物語にどのような変化をもたらしたのかという視点から、山田詠美の小説を読み解く。自分の読みをおし進め、みずからのことばで語る論考は好感が持てるが、「小説とはいかにあるべきかを考えるてがかりとなるであろう」との大きな予告に結末になっても答えはなかった(少なくとも十分読み手に伝わらなかった)。また「纏足」や「風葬」ということばから想起されるイメージの広がりに踏み込むとさらに読みが深まったのではないか。

 
     


 
 
 

 論文コンテストの主意は 塾生諸君が自由な発想で議論を展開し、深く論じる力を磨く機会となること。今回、応募をしたものの完成に至らなかった学生も数多くいた。論文執筆にあたって、立ちはだかる壁を乗り越えるための一言を追記したい。論文の趣旨や意義、とりわけその論文が目指している地点と共に、その先にどのような世界が見えて来るのか、といったことを意識する眼差しが必要である。選んだテーマやトピックに関する先行研究を踏まえながらも、論文を書き進めつつある自分はどこにいるのか、またその先に自分が見据えようとしている世界は何なのかを意識化することが、論文執筆の過程で常に求められる視座である。その視座は、論文のテーマから踏み外さない道案内にもなる。また、論文の完成という山頂までの道しるべにもなるだろう。となれば、論文を書くことはいま以上に面白い営為となるのではないか。ぜひ次のステップに足を踏み出してもらいたい。

 辛口の講評が続いたが、今回のコンテストに応募した学生は一年生も多かった。是非再応募していただきたい。来年は最優秀賞論文の応募を期待する。

 
     


 
         
 
 
 
 
             
 
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